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【原作寄り(?)】【本物夫婦設定】【春月抄・4コマ「狼陛下の家族計画」の先のお話】


「続・狼陛下の家族計画」31 


(―――陛下、大丈夫かしら・・・)
そう考えていたのは、相変わらず掃除に励む夕鈴である。

昨夜、彼は比較的早い時間に帰って来た。
忙しいからこそ政務室へ来るなと言われたはずなのに、王宮に泊まったのは一晩だけ。
自分の事は後回しにしがちな一面を知っている夕鈴が心配するのも無理はない。

それに。
昨夜の彼は、少し雰囲気が違っていた。
(・・・やっぱり、おかしかったわよね)
いくら夕鈴が鈍感でも感じ取れてしまうほど、話すにつれて彼は段々落ち込んでいったのだ。
何か変な事でも言ったのかと思い返してみても、夕鈴からすれば思い当たる節はない。

(髪縛ったのが気に入らなかったのかなあ。でも、可愛くできたんだけどな)
結構自信もあったのに。
そう溜息を吐いた時。
「お前さん、また来とるのか」
眉間に皺を寄せた張元が、ひょっこり顔を出した。

昨日は黎翔が後宮に帰って来ていたのだ。
いくら鈍感な夕鈴とて、監禁されていたのだと知らされただろう。
そうなれば、あれだけ焦れていた黎翔が手を出さない訳がない。
さぞかし骨の髄まで貪られただろうと思っていたのに。

「あ、老師。おはようございます」
目の前の夕鈴は元気にくるくると掃除をしていて、何だか昨夜の黎翔が不憫になってきてしまった。

だが。
この状況を打開し、お世継ぎ誕生に尽力するのが張元の仕事である。
こんな事で呆けてはいられない。

(とにかく、まずはこの娘がちゃんとお世継ぎは必要だと認識しているかを確かめねばなるまい)
万が一、周りの期待ほどの認識がなかったら。
いくらせっついても、無駄なのだ。
的確に、順序良く説得しなくてはならない。
だから。

「お前さん、子供は嫌いなのかの?」
そう聞くと、夕鈴はきょとんと首を傾げてきた。
「は?何ですか、急に。生意気な悪餓鬼は好きじゃありませんけど、基本的には好きですよ?」
取敢ず、子供が嫌いで欲しくない訳ではないらしい。
「じゃあ、産むのが嫌とか?」
「―――は?産んだ事ないので、嫌も何も・・・判りませんが」
女の中には子を産むと衰えると言って嫌がる者もいるが、それもないらしい。
「・・・まさか、陛下との子は欲しくない―――とか?」
「っはあ!?何ですか、それ!」
曲りなりにも恋愛結婚したこの夫婦に限ってそれはないだろうと思いつつした問い掛けに、夕鈴は顔を真っ赤にして怒り出した。
と、なれば。
「―――お前さん、何で陛下と子作りしないんじゃ??」
「っ!?」

何が原因でこんなに拗れているのか、張元にはさっぱり判らない。
周りからみても、互いを想い合っているのだ。
それに以前とは違い、正真正銘本物の夫婦。
障害など何もないではないか。

張元が心底不思議に思っている間にも、夕鈴はみるみる耳まで染まっていった。
「そ、それは、ですね、その・・・・・・から」
「ん?何じゃ?」
聞き取れない程の小さな小さな声に、張元が耳に手を当てると。
「へ・・・陛下が・・・その―――て、くれないから・・・」
蚊の鳴くようなその答えに、一瞬で頭が真っ白になってゆく。

(陛下が・・・してくれないじゃと?)
そんな馬鹿な。
だってヤル気満々な黎翔を、ここ数日だけで何度見たか判らないのだ。
男としての欲求がない訳がない。
それなのに目の前の夕鈴は、どう見ても自分に非があるとは思っていない様子である。
勿論、鈍感で天然な夕鈴の事だ。
恐らく無自覚でスルーしているのだろうが。

(こ、これは、陛下にお知らせしなければなるまい)
何がどうなって今に至るのかは解らないが、夕鈴もちゃんと子作りをするつもりがあるのだ。
黎翔に伝え、今度こそしっかり仕込んでもらわねば。

「―――って言うか、最近陛下はお忙しいんですから、変な事吹き込まないで下さいよ!?」
真っ赤な顔で詰め寄る夕鈴の迫力に少々たじろいでしまったものの、今はそれを聞くつもりはない。
でもこれ以上変な方向に進まれても困るのだ。
だから。
「・・・わ、判っとるわい」
表面上渋々そう頷いて、張元は夕鈴が目を離した隙に姿をくらましたのだった。





一方、その頃。
黎翔はどっぷり落ち込みながらも何とか政務をこなしていた。

昨日は嫁とのギャップに愕然とし、呆然とし―――砂になって流れてゆく気分を思う存分味わえたのだ。
ここの所、少々昏い考えが蔓延していたのだから尚更である。

(何故ここまで誤解してしまったのか・・・)
ついそう思ってしまうのも、今日何度目だろうか。
だが原因は恐らく自分なのだ。
夕鈴を求める気持ちが強すぎて、勘違いしてしまったのだと思う。
だって今までの彼女からは、とても想像できない思い込みをしていたのだから。

と、そこへ。
黎翔が一人の時を見計らったかのように、浩大が現れた。
いつもなら気安く声を掛けてくるくせに、珍しく言い淀んでいる様子が妙に気に掛かる。

「―――何だ」
「いやー、あはは。そのー、ちょっと耳に入れておいた方がいい事が・・・」
「だから何だと聞いている」
問い掛けに返事はするものの、まるで要領を得ない。
それでなくても深く凹んでいる時にこんな言い方をされれば、機嫌は悪くなるばかりなのに。

「えーっと。落ち着いて聞いてよ?」
浩大は暫く言い倦ねた後、そう切り出した。
「お妃ちゃんの事なんだけどさ」
「―――夕鈴が、どうかしたのか?」
いくら凹んでいても、夕鈴の話となれば聞かずにはいられない。
どんな些細な事でも知りたいと思っているのだから。

「やー、じーちゃんから聞いたんだけどさ。何で子作りしないんだって文句言ったらお妃ちゃん、陛下がしてくれないって言ってたらしいんだけど―――」
「!?」
「ソレ、ほんと?」

浩大が疑わし気な目を向けてきても、黎翔としてはそれどころではなかった。
だって黎翔は最初からヤル気満々だったのだ。
夕鈴に嫌われないよう気遣ってきたつもりだった。
―――最後には、一番嫌われそうな行動に出てしまったが。

だがそれも全て今の話を聞いた後ではどうでも良い事。
夕鈴にソノ気があるなら、今度こそと思ってしまうのも仕方がないだろう。

黎翔は無言で立ち上がると、そのまま後宮へ足を向けた。

「―――ですよねー。あの陛下がそんなに大人しい筈ないって」
どうせ何かしらの食い違いがあってあんな事になっていたのだ。
この情報を流せば、黎翔が夕鈴に会いに行くのは簡単に予想できた。
だからこそ、李順のいない時を見計らって来たのだ。

そして。
有能な隠密を自負する浩大は、李順からの追求を受ける前に姿を消したのだった。


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「続・狼陛下の家族計画」33 




長い禁欲生活を終え、やっと夕鈴と閨を共にした翌日。
黎翔は上機嫌で政務に励んでいた。

実際には十日ほどの間だったが、何せ浮かれては突き落とされての繰り返しだったのだ。
軽く数十日はお預けを喰らっていた気分である。

(―――本当に、長かった・・・)
何故最初から素直に言ってしまわなかったのか。
夕鈴はあんなにあっさり承諾してくれたのに。
そう思いはするが、それももう過ぎた事。

(可愛かったなあ)
恥ずかしがりながらも自分を受け入れてくれた彼女は本当に愛らしくて、子作りと言う大義名分もあるせいで抑えが効かなかった。

『や・・・っ、も、やめっ・・・』
『まだだよ―――まだ、足りない』
『やん・・・っ』
『もっと感じて・・・?』
『ああっ』

少し思い出しただけで体がじいんと熱くなる。

空が白み始めるまで貪り―――僅かな仮眠を取っただけで、力なく横たわる彼女をまた襲ってしまったのだ。
だって目の前の夕鈴には黎翔のつけた寵愛の印がいくつも残っていて、我慢する気にもなれなかったのだから。

勿論、さすがに昨夜はやりすぎたと思ってはいる。
でもあれは久し振りだったせいだし、今日からはきっともう少し自制できる。
―――筈だ。
子作りを了承してくれた時点で、夜の営みを受け入れたも同然。
これからいつでも味わえるのだから。

やっと自分の望んでいた夫婦生活ができる。
毎晩愛らしく恥らう兎を味わって、その温かい体を抱き締めて眠れる。
そう考えるだけで夜への期待は高まり、面倒な政務も早く終らせるために頑張ろうと思えた。

そんな黎翔の様子を、何とも言えない表情で見ていたのは李順である。

ここ数日落ち込むばかりだったのに、今日はすこぶる機嫌も良く肌までつやつやして見えるのだ。
さぞかし昨夜は嫁を堪能したのだろう。
政務は捗っているしお世継ぎの心配はしなくて済むしで、悪い事ではない。

だが―――少々機嫌が良すぎて、逆に怯える官吏が出てきているのは問題だ。
あまりに黎翔の処理が早すぎるせいで、周りがついていけていないのも不味い。
李順からすれば、そこまで早くなくても良いから毎日ちゃんと仕事をして欲しい所である。

このままでは官吏が使い物にならなくなるのではないかと危惧し始めた頃。
「暫し席を外す。戻るまでに今任せているものを全て終らせておけ」
黎翔が立ち上りながら、そう命じた。
「陛下、どちらへ?」
「心配するな。すぐに戻る」
そう言われはしたものの、無理な相談だ。
過去何度抜け出してサボられた事か。

だが、今のままでは官吏が与えられた仕事を捌ききれないのもまた事実。
だから。
(―――本当に、ちゃんと戻ってきてくださいよ!?)
李順は心の中でそう念を押しつつ、足早に出て行く黎翔を見送ったのだった。





一方。
政務室を出た黎翔は、当然後宮へ向かっていた。

今朝出てくる時に、夕鈴が目覚めたら知らせるよう命じておいたのに、一向にその知らせが来ないのだ。
無理をさせた自覚があるのだから心配にもなってくる。

だが今回は彼女も合意の上の話。
だから労わる気持ちはあっても、悪いとは思っていない。
ただ、この時間まで起きられないのなら夕鈴は食事をしていないだろう。
それが気掛かりだし、何より―――夜までにはなんとか回復して欲しいのだ。
だって、きっと自分はまた抑えが効かないだろうから。
とにかく何か食べさせてから、また休ませよう。
そう心に決め、侍女に食事の支度を命じて寝所へ入って行くと。

「―――ぷっ」
夕鈴は寝台に突っ伏すように、うつ伏せで寝ていた。
きっと何度かは起きようと努力したのだろう。
掛け布も敷き布もくしゃくしゃと皺が寄っていて、もがいた跡が見て取れる。
昨夜はあんなに愛らしく自分を受け入れてくれたくせに、やっぱり夕鈴は夕鈴だった。

(堪らないなあ)
閨ではつい苛めたくなってしまうほど可愛らしくて、昼は笑いを堪えてしまうほど面白くて。
そんな彼女を、愛さずにいられる訳がない。

「ゆーりん」
黎翔は寝台の端に腰を下ろすと、寝乱れた彼女の髪へと指を差し込んだ。
自分の本気はやはり夕鈴にはきついのだろう。
いつもなら寝起きの良い彼女にしては珍しく、暫くしてからやっと呻き声が聞こえてきた。

「・・・う〜〜〜・・・」
「起こしてごめんね。ご飯食べたら、また寝てていいから」
「へ・・・か?」
何とか頑張って、と言った様子でこちらを見た夕鈴に優しく笑いかけて。
体の負担にならないよう、ゆっくり抱き起こす。
「まだ辛そうだね。水、飲む?」
この分では食べ物だけでなく、水分も摂っていないのだろう。
こくりと頷いた夕鈴に、黎翔は水の入った茶杯を手渡した。

「へーか、お仕事・・・」
「ん?きりの良い所まで済ませてきたよ。もう昼過ぎてるし」
「・・・えっ??」
時間の感覚もなくなっていたのか、彼女は随分驚いていたけど。
「僕のせいだから―――君は食事を摂って、またゆっくり休んでて」
そう言って、黎翔は額へ口付けを落とした。
それだけの事で未だ頬を染めてしまう夕鈴が愛しくて、愛しくて。
ついうっかり理性が飛びそうになり、自制する。

最近頭に浮かんでいたような、縛ったり道具を使ったりはしなかった。
でもそんな事をしなくても、充分に満足できているのだ。
そう思える程度には、存分に貪ったのだから。

夕鈴を抱き上げ、食事の席へと移動して。
膝へ乗せて、まだ動きの鈍い彼女にくすくすと笑いながら、まるで雛鳥にエサを与えるかの如く食べさせてゆく。
いつもならかなり抵抗されるであろうシチュエーションだが、さすがに今日ばかりは少々大人しい。

「じ、自分で・・・」
「昨日君に無理をさせちゃったのは僕なんだから、こんな時くらい甘えて」
羞恥心からかうごうごともがく夕鈴を制し、食べ物を口に押し込んでゆく。
「〜〜〜っ」
真っ赤になって、それでも素直に食べる彼女は本当に可愛らしくて堪らない。
この兎を、これから毎晩味わえるのだ。
何度も肌を重ねる内に、つい最近まで考えていたようなプレイだってきっと。

「・・・も、食べられません」
夕鈴がそう言ったのは、彼女がいつも食べる量の半分ほどしか減っていない頃。
「そう?」
本当は体力を付ける為にもっと食べて欲しいのだが、疲れすぎると食欲がなくなる事もあるのだ。
まずはもう少し寝かせて、夜にまた食べさせれば良い。

黎翔は夕鈴が茶を飲み終えるのを待って、寝台へと運んだ。
「・・・ご迷惑かけちゃって、すみません」
夕鈴はしょんぼりとしていたが、黎翔からすれば何でもない事。
「気にしないで。夜の為に、体力は温存しておいてもらわないと」
「――――――え?」
「今日も頑張って早く仕事終らせてくるから、それまでゆっくり寝ててね」
「あ、あの、今日は―――」
「支度とか何もしなくていいよ。湯殿には僕が運んであげるし、そのまま一緒に入ってもいい」
「え、いや、ちょっ・・・」
「子が出来るまで、頑張ろうね!」

すこぶるご機嫌な小犬に対し、夕鈴は寒気すら覚えていた。

―――別に、嫌なのではない。
好きな人との子供も欲しいと思う。
でも。

(あれを―――子供ができるまで?)
一晩ですら、こんな時間まで起き上がれなかったのに?
それを、毎晩?

夕鈴だって伊達に主婦をしていたのではない。
体力には自信があった。
でも昨夜から今朝にかけて、思い知らされたのだ。
黎翔の体力は、桁が違うと。
しかも彼はあれだけしたのに、疲れるどころか肌までつやつやしているではないか。
(―――無理!赤ちゃんができる前に、私が死ぬ!!)

「あのですね、今日は・・・っ」
「うん、今日はゆっくりしてて」
「や、だから違」
「侍女にもちゃんと言って行くから、何も心配しなくていいからね」
何とか断らなければ。
そう思ったのに、黎翔は夕鈴の話を全く聞かず髪をひと撫でして出て行ってしまった。

きっと本気だ。
恐ろしい事に、それだけは判る。
でも。
(冗談じゃないわよーーー!?)
彼が帰って来る前に、どうにかしなければならない。

疲れ果てた体を何とか起こしながら、夕鈴は必死に対策を考え始めたのだった。


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「続・狼陛下の家族計画」36 


黎翔がうごうごともがくお嫁さんを想像し、ほくほくとしている頃。
当の夕鈴は、決意を固めていた。
何のと言われれば、勿論家出のである。

別に黎翔だけが悪いとは思っていない。
元々赤ちゃんが欲しいと言い出したのは夕鈴なのだ。
彼はその望みを叶えてくれようとしただけ。
でも。
(いくら何でも、限度ってもんがあるでしょ!?)
そう怒り狂える程度には、夕鈴は疲れ果てていた。

嬉しいと感じられたのは最初だけ。
昨夜の彼は、まるで肉食獣が獲物を弄ぶように夕鈴を翻弄した。
半ば強制的に何度もいかされ、許しを乞うても聞き入れて貰えず―――最後の方は、結構本気でやめてくれと言っていたのだ。
それなのに、黎翔はそれすら楽しそうに笑っていた。

好きな人に抱かれるのは、素直に幸せだと思う。
一日だけなら―――まあ、あれでも我慢できる。
でも連日となれば話は別だ。
だってこのままでは、彼に抱かれているか眠っているかだけで一日が終ってしまうのだから。
しかも今だってかなり無理矢理体を動かしている状態なのだ。
また夜には、と考えただけでイラッとする。

(いつも甘いくせに、なんでこんな時ばっかり人の話を聞いてくれないのよ!)
せめてもう少し手加減してくれれば。
せめて、数日開けてくれれば。
そんな願いは聞き入れてもらえるどころか、口に出す暇すら与えられなかった。

ここは黎翔の後宮である。
基本的に、彼の命令は絶対だ。
と、なれば。
自分の意志を貫く為には、家出しかないのだ。

かと言って、そう簡単に抜け出せるほど後宮の警備が甘くないのは、さすがにもう夕鈴とて知っていた。
しかも昨夜のせいで体はとんでもなく怠いし、あちらこちらが痛んでいる。
誰かに気付かれたら間違いなくこの家出は失敗するだろうし、何より―――大騒ぎにでもなれば、さすがに黎翔に悪いと思う。
だから。
「浩大、いる?」
夕鈴は侍女に気付かれないように、浩大を呼んだ。
まずは妃の警護をしている浩大を何とかしなければ。

「―――何?今日は陛下から、直接会うなって言われてんだけど・・・」
「は?何、それ」
いつもなら呼ばなくても顔を出すくせに、今日は声しか聞こえない。
「やー、今のお妃ちゃんを他の男に見せたくないんじゃね?」
「何でよ。意味が判らない!」

黎翔としては散々貪って色気の増した夕鈴を誰にも見せたくないのだが、当然夕鈴はそんな事に気付きはしなかった。
艶っぽいだの色っぽいだのは黎翔ビジョンでかなり肉付けされているのだから当然だ。
だが浩大からしてみれば、黎翔の気持ちの方が理解し易い。
同性だと言うのが一番の要因ではあるものの、夕鈴が鈍いのも良く知っているのだから。

夕鈴はふぅと大きく息を吐いてから、浩大に言った。
「―――ちょっと、お願いがあるの」





同日、宵の口。
黎翔はその日の政務を終らせるべく、超高速で書簡を捌いていた。
途中までは官吏がもつか心配されるほどだったのに、どこからか話を聞きつけた宰相にたんまり追加されてしまったからである。
だが、いつもならうんざりとやる気を失くしてしまいそうなその量も、今日ばかりは終わりが見えてきていた。
だってその先には、可愛い兎を愛でる夜が待っているのだから。

と、そこへ。
「今日はまた、随分張り切ってんね!」
至極楽し気な声が聞こえ、ひらりと浩大が入って来た。
何故こんなに黎翔がやる気満々かなどとっくに知っているくせに、わざとらしい。
―――勿論やる気満々なのは政務ではなく子作りであるが。

黎翔は冷たく一瞥しただけで、すぐに書簡へ視線を落とした。
「夕鈴は?」
「やー、何か昼過ぎに『寝るから』って言われてさ。ちょっと範囲を広げて見回ってたんだよね」
「そうか」
表面上は冷静に聞いていたものの、心の中ではほくそ笑む。

(夕鈴もやっとその気になってくれたか)
あの働き者の彼女が昼寝を選んだのだ。
きっと夜に備えてに違いない。
ならば、こんな所でぐずぐずしてはいられないに決まっている。
(今日は手加減しなくちゃと思ってたのになあ)
そう思いつつも、既に心は後宮へ飛んでいた。

「んで。はい、コレ」
「―――何だ」
不意に文を目の前に差し出され、訝し気に顔を上げると。
「お妃ちゃからのラブレター!」
「夕鈴から?」
にやにやと笑う浩大から文を受け取り、黎翔は眉を顰めた。
「今日は直接会うなと言った筈だが?」

そう。
昨夜の艶を残す彼女を誰にも見せたくなくて、厳しく言いつけてあったのだ。
―――勿論、その艶は黎翔ビジョンによって肉付けされたものであるが。

「会ってない!会ってないから!!」
浩大は慌てて否定した後、窓から文を出されて『昼寝するから夜になったら届けて欲しい』と頼まれたのだと説明した。
ゆっくり眠る為に暫く誰にも近付いて欲しくないと言われて、かなり遠巻きに護衛をしたのだと。

たまに勝手な事はするが、浩大は黎翔子飼いの隠密である。
さすがにこんな所で嘘を吐きはしないだろうと考え直し、黎翔は文を受け取った。

夕鈴から文を貰うなど、滅多にないのだ。
いつもなら何事かと心配にもなるが、今日ばかりはさすがの黎翔も少々浮かれている。

帰りを待ち侘びてくれているのだろうか。
それとも、可愛いお強請りでもしてくれるのだろうか。
頭には昨夜の愛らしい彼女が思い描かれていた。
浮き立つ心そのままにわくわくと文を広げてみると。

「――――――――――――え?」
そこには。
『暫く実家に帰らせて頂きます!』
そう、書かれていて。

―――何だ。何をどうすればこうなる。
昨日は彼女も、ちゃんと感じていた。
ならば他に何かあったのだろうか。
だが今日は一日中寝台から起き上がれなかった筈だ。
昨夜、侍女を下げてからは黎翔としか会っていない。
ではやはり自分に原因があるのだろうか。
でも、あんなに可愛らしく喘いでいたのに。

夕鈴がかなり本気でやめて欲しいと言っていた事にすら気付けなかった黎翔は、浩大が不思議そうに見守る中、暫く固まってしまったのだった。



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「続・狼陛下の家族計画」39 




黎翔が李順心遣いの生ウサギを抱き、しょぼくれている頃。
夕鈴は実家でぷりぷり怒っていた。

家出ではあっても、折角の実家だ。
本当なら、普段手が回らないであろうあれやこれやをしたかった。
それなのに未だ腰は痛いわ体は怠いわで、ろくすっぽ動けない。
そのくせ昼過ぎまで寝ていたせいか感情が高ぶっているせいか、さっぱり眠くならないのだ。
時間が無駄に流れてゆくのにすら、イラついていた。

と、そこへ。
「―――お妃ちゃん、まだがっつり怒ってんの?」
「っ、浩大!」
空気の入れ替えと称して頭を冷やす為に開けていた窓から、浩大がひょっこり顔を出した。
相変わらず何の前触れもなく、ついびくりと体が跳ねる。

「―――何よ。帰らないわよ」
「陛下、かなり凹んでるよ?」
「で、でも、帰らないったら!陛下がちゃんと私の話を聞いてくれるまでは、絶対帰らないんだからっ!」
怒りはさっぱり収まっていないのだ。
例え迎えにきてくれても、今回ばかりはほいほい帰るつもりはない。
でも。

「・・・そんなに、寂しがってるの・・・?」
頭の中に小犬がしょんぼりしている姿が浮かんでしまって、夕鈴はおずおずとそう呟いた。
「うん。ありゃ明日の政務室は嵐だね」
「・・・っ!?」
黎翔が落ち込むだけではなく、自分達の夫婦喧嘩が他の人間に迷惑を掛けるというのは、全く以って不本意である。

この場合、既に浩大や李順にとばっちりが行っている事に、勿論夕鈴は気付いていない。

夕鈴だって寂しがりの夫を放って家出したのが良い事だと思っているのではない。
でも、今回ばかりは黎翔が悪い。
―――筈である。

大量の文句と少しの後悔に、夕鈴が葛藤していると。
「ま、でもいいんじゃね?ありゃ陛下が悪いっしょ」
いつも通り明るい調子で言われ、一瞬で体がかちんと固まってしまった。
「六回だっけ?それで火がついたって言うんだからもっとか。そりゃお妃ちゃんがへばるのも無理ないよ」
へーかねちっこそうだもんね〜と軽く笑われてしまったが、そんな事よりも。
「な、な、ななな・・・っ」
「ん?」
「何で浩大がそんな事知ってんのよー!!!」
夕鈴は顔どころか体中真っ赤になって叫んだ。

(信じらんない!陛下が喋ったって事!?)
確かに彼は全てに於いて堂々としている。
夕鈴が恥ずかしくて周りに洩らしたくないような事も、あまり頓着しない時もあった。
でも、まさか閨での話を他でしているとは。

夕鈴の爆発に、命の危険を感じたのは浩大である。
フォローをしてやろうとして、ついうっかり余計な事まで言ってしまった。
これのせいで家出が長引いたら。
そう考えるだけで恐ろしい。

「で、でもさ、それだけ愛されてるって事じゃん!世界広しと言っても、そこまで大切にされてる妃なんて他にいないと思うよ?」
「・・・っ!そ、それは判ってるわよ・・・」
別に、夕鈴だって黎翔の気持ちを疑っているのではない。
大切にしてもらっているし、愛してくれているのだと思う。
でも、ものには限度と言うものがあるとも思うのだ。

「じゃあ許してやったら?元々難儀な人だってのは知ってたんでしょ?」
「難儀って・・・まあ、知ってた、けど・・・」
「ちゃんと話し合えばいいじゃん。そーすりゃ万事解決!」
浩大の言い分は判る。判るのだが。
「〜〜〜っ、話を聞いてくれるなら家出なんてしてなーい!!!」

上手く言い包められそうだと感じていた浩大は、いきなり爆発した夕鈴に思わずたじろいだ。
元々妃専属の護衛を命じられているのだ。
それなのに今回は夕鈴の家出を見逃してしまった。
原因が黎翔だったせいで特に咎められてはいないが、それと自分の落ち度とは別の話。
何とか連れ帰るつもりだったのに。

「大体っ!一晩でそんなに、な、何回もなんて・・・っ!聞いた事もないわよっ!いくらお願いしても『可愛い』とか『煽るな』とか訳判んない事しか言わないし!!!そ、そりゃ赤ちゃんが欲しいなら必要だって知ってるけど、それにしたって・・・!!!!!」
「・・・えーと。お妃ちゃん、ソレ惚気?」
「は!?何でそうなんのよ!私は怒ってるのよー!!」
「あー・・・はいはい。ご馳走様」
夕鈴は真っ赤なままぷりぷり文句を言っているが、浩大は呆れるばかりである。
理由を考えれば、この家出はまあしょうがないと思っていたのだから尚更だ。

(ま、愛想尽かされた訳じゃなさそうだし。どうせあの人がいつまでも大人しく待ってる訳ないし)
今日の所は李順が宥めておく事になっているが、どうせすぐに抜け出して来てしまうだろう。
夕鈴とて怒ってはいるが、ただそれだけなのだ。
きっと迎えに来られたら上手く持ち帰られてしまうに違いない。
ならば浩大にできるのは、それまでの間夕鈴が何事もなく過ごせるよう護衛する事だけである。

(しっかし―――相変わらず人騒がせな夫婦だよな〜)
正直な所、まんまと姿をくらまされた浩大としては肝を冷やしたのだ。
今回はただの痴話喧嘩の末の家出だったからまだ良いものの、もしこれが妃誘拐だったらと思えば寿命が縮む。

「んじゃ、俺は一回戻るよ。陛下に何か伝言ある?」
「・・・お仕事頑張ってくださいって。あ、あと!あんまり無理はしないでちゃんとご飯食べて夜はしっかり休んでくださいって。それと―――・・・何よ」
つい呆れ顔になった浩大に、夕鈴はしかめっ面をしたのだが。
(はー。ほんと何、このバカップル・・・)
家出するほど怒っているくせに、結局はあれやこれやと黎翔の心配をしまくっているのだ。
傍迷惑にもほどがある。

「ま、伝えておくよ。でもたぶん、すぐに迎えに来ると思うよ?」
「か、帰らないったら!」
「はいはい。文句は直接本人に言ってね〜」
「聞いてくれないからこうして―――って、ちょっと!浩大!?」

これ以上付き合うのも馬鹿馬鹿しい。
浩大は手をひらひらと振ると、夕鈴の言葉に背を向けさっさと退散したのだった。


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まだ続くよ!



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