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【原作寄り(?)】【本物夫婦設定】【春月抄・4コマ「狼陛下の家族計画」の先のお話】


「続・狼陛下の家族計画」41



嫁に家出をされ盛大な勘違いの元、今後の対策を考えた後。
黎翔は李順に差し入れられた生ウサギを手に、しょぼくれていた。

つい先刻、浩大が夕鈴の様子を報告に来たのだ。
ばっちり怒り狂っている、と。

黎翔からすれば『可愛いお嫁さんを存分に愛しただけ』なのだが、そこまで彼女が怒っているとなるとやはり不安が過ぎってゆく。
元々窮屈な後宮暮らしをさせている負い目があるのだから、これで愛想をつかされてしまったらと考えてしまうのだ。

(今日は迎えに行っても帰ってきてくれないんだろうなあ・・・)
つい昨日はあんなに愛でていたのにと思えば、雲泥の差である。

可愛くて面白くて大切な、大好きなお嫁さん。
ただの里帰りですら寂しかったのに、家出されてしまうなんて。
「ゆーりん・・・」
黎翔は我知らず温もりを求め、生ウサギを抱き締めた。
勿論彼女と比べられはしないが、凹んだ心にはほんの僅かな癒しを与えてくれる筈だ。
それなのに。

「きゅっ!きゅきゅっ!!」
力が入ってしまったのか、急に生ウサギが暴れだしてしまった。
「え、ちょっ」
特にその兎に思い入れがある訳ではないが、彼女の温もりと重ねて見ていたのだ。
何だか無理強いをしたくなくて力を緩めると、生ウサギは散々もがいた後黎翔の手から逃げ出した。
そしてそのまま衝立の陰に隠れて顔を覗かせ、威嚇してくるではないか。
「シャーーー!!」
「・・・・・・」
こんな感じの姿は、見た事がある。
勿論本物の兎ではなく、可愛いお嫁さんがしている所、であるが。

「明日なら、帰って来てくれるのかなあ・・・」
ここで迎えに行くタイミングを間違えては、本当に帰って来てくれなくなってしまうかもしれない。
でも、そう長い間は自分がもたない。

生ウサギにまで逃げられてしまった黎翔は、その姿を大好きなお嫁さんと重ね、更にしょんぼりと落ち込んでいったのだった。





翌日。
やっと動くようになった体に安堵しながら、夕鈴は明玉の元を訪れていた。
勿論、愚痴を聞いて貰う為である。

さすがに閨での事をすべて話すつもりはない。
でもそれでも、このテの話はやはり女友達の方が良いのだ。
青慎だって突然帰ってきた夕鈴を心配してくれてはいたが、とても話せなかった。
対して明玉はもう嫁いでいる立派な人妻だし、何より母親である。
夕鈴より苦労はしているだろうし、気持ちも判ってもらえるだろう。

「あんたもやっと子供欲しくなったのねえ」
軽く状況を説明すると、明玉は感慨深げにそう言った。
「だって赤ちゃん、可愛いんだもの」
答えた夕鈴の腕では、明玉の子が気持ち良さそうに眠っている。
人の子でもこんなに可愛いのだから、好きな人との子ならもっと愛しいだろう。
そう思えば、あどけない寝顔に頬が緩んでゆく。

だが、それと黎翔の行動とは別問題だ。
だから怒りは一向に収まっていない。
「でも、だからって、一晩に、その・・・何回も、なんて、しなくていいじゃないっ」

色んな意味で真っ赤になる夕鈴に、明玉は同情の目を向けた。
体を動かすのが好きなこの親友が言うのだから、さぞかしハードだったのだろうと予想をつけて。
「でもさ、あんたの旦那って例の職場の上司でしょ?文官のくせに元気なのねえ」
「えっ!?あ、う、うん・・・」

さり気ない突っ込みに、夕鈴は肩がびくりと震えてしまった。
結婚したとは話してあるが、さすがに相手が王様だと言う訳にもいかず『職場の上司の李翔さん』に嫁いだ事になっているのだ。
怒りで感情が高ぶっている分、いつもより気を付けなければ襤褸を出しそうである。

「ま、でも家も結構苦労したわよ?いざ子作りとなると旦那が乗り気じゃなくなっちゃってさ。協力してくれるだけいいんじゃないの?」
「え?そうなの?」
「そうよ。男って『子供を作る為にする』のはあんま好きじゃないみたいなのよね」
「へえ」
さすが人妻の先輩、閨だけではなく男心にも詳しい明玉に、夕鈴は感心するばかり。

でも。
(―――陛下が嫌がった事って、あったかしら)
自分に置き換えて考えてみると、どうにも彼には当て嵌まらない気がする。

勿論黎翔は子作りがメインなのではなく夕鈴とナニをする事が重要なのだが、夕鈴は気付いていない。

「それにさ、欲しいからってすぐ授かるもんじゃないしね。家は三ヶ月くらいかかったわよ」
「・・・は?」
「できる時は一発らしいのにねえ。毎日仕事で疲れてる旦那を説得してたけど、こっちだって仕事してたからほんとしんどかったわ〜」
明玉はあははと笑ったが、夕鈴が気になったのはそこではなく。

「ね、ねえ。赤ちゃんって、そんなに何度も―――その、しないとだめなの?」
「ん?だから今言ったじゃない。一発でできる事もあるわよ。でも『欲しい』と思ってると中々できない事も多いみたいよ?」
「そ、そうなんだ・・・」

では、黎翔が翌日もするつもりだったのは当然の事なのだろうか。
彼の行動は、ちゃんとすべて判った上だったのだろうか。
ならば、一晩であれだけ貪られたのにも意味があるのだろうか?
黎翔の無体に怒り狂っていた夕鈴は、次第に不安になってきてしまった。

もしあれが正しい姿なら、何て事をしてしまったのだろう。
自分から『赤ちゃんが欲しい』と言い出したのに、ただただ応えてくれた夫を放って家出してしまうなんて。

「ま、あんたも大変だろうけどさ。旦那さんのやる気がある内は、付き合ってやんなよ」
そう宥める明玉は、黎翔のねちこさを当然知らないのだが。
妙な方向に勘違いした夕鈴は、後悔に青褪めてしまったのだった。

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「続・狼陛下の家族計画」44




夕鈴が明玉から夫の浮気疑惑を囁かれている頃。
黎翔は至極不機嫌に政務をこなしていた。

嫁に家出をされ、生ウサギにまで逃げられて。
結局昨夜は、寂しい一人寝をしたのだ。
本当は何を置いても、まず迎えに行きたかった。
それでも思い留まったのは、政務を放り出して迎えに行けば真面目なお嫁さんの怒りが倍増しそうだからである。

さっさと片付けて迎えに行こう。
怒っていても構わない。帰って来てくれるのなら。
抱きしめて口付けて、彼女が許してくれるまで謝ればいい。
黎翔にとって一番辛いのは、夕鈴が傍にいてくれない事なのだ。
だから今日は、何としても帰って来てもらおうと思っていたのだが。

「こちらも急ぎですので」
李順にしれっとした顔で書簡を追加され、少々うんざりしていた。
「・・・随分多いな」
「元々この時期に忙しいのはご存知でしょう」

最悪、急を要するものだけ終わらせて抜け出そうと考えていたのに、なかなか途切れないのだ。
黎翔が逃げ出さないように李順が仕向けているのかとも思ったが、書簡の内容を見る限りではそうでもないらしい。
ずるずると迎えに行く時間が遅くなり、それに従って機嫌は悪くなるばかりである。

「―――ここまで終われば、今日は結構ですので」
不意に溜息混じりに李順が言った台詞に、黎翔は顔を上げた。
政務第一の側近からそんな言葉が出てくるとはびっくりである。
「まさかお前がそんな事を言うとはな」
「私だって好きで言っている訳ではありません。ですが、正妃様が家出をしたままと言うのはさすがに不味いでしょう」
渋い顔でこめかみを押さえている所を見ると、夕鈴の心配をしているのではないらしい。
今回ばかりは黎翔のせいだと判っているからあまり文句も言えないが、正妃が気軽に家出をするなとでも思っているのだろう。

「ただし!ちゃんと今日中に戻ってくださいよ!?」
「判っている」
念を押されるまでもない。
彼女がいなくて辛いのは自分なのだ。
謝るにしろ何にしろ、とにかく連れ帰るのが大前提である。

嫌われるような事はしたくない。
あまり束縛するような事だって、本当ならしたくない。
そう考え昨日は我慢したが、そのせいで余計に夕鈴への想いの深さを自覚させられたのだ。
いつ帰って来てくれるか判らないなどと言う不確かな状況で、ただ待っている事などできない。

「では、さっさと終わらせて捕まえに行くか」
つい先刻まで沈みに沈んでいた黎翔は、にやりと笑って書簡へと手を伸ばしたのだった。





その日の夜。
夕鈴は、食事を作りながら悶々と悩んでいた。
(まさか、陛下が浮気してたなんて・・・)

別に黎翔を疑っているのではない。
でも元々彼は女たらしだと何度も感じていたのだ。
あのバイト時代の甘々な演技。
あれをやられて、何も思わない女の人なんているんだろうか。
―――しかも、王様から。
相手がときめいてしまうのも無理はないのではないか。

明玉の話を聞いている内に、夕鈴の頭の中で黎翔はすっかり浮気者だった。

でも今回ばかりは彼だけを責められはしない。
だってきっと自分が家出をしなければ浮気なんかしなかったと思うから。
それが矛盾している事には気付かずに、未だ夕鈴は黎翔を誠実な人だと思っている。

(―――どうしよう。普段通り振舞える自信がないわ・・・)
謝らなければ。
でも話も聞いてくれないのは酷いと思う。
ちゃんと話し合えばこんな事にはならなかったかもしれないのだ。
それに、閨での事を浩大に漏らしたのは怒って良いんじゃないだろうか。
でもでも、もしかしたら自分が家出をしなければそんな話にならなかったのかもしれない。
となると、やっぱりそもそもの原因は黎翔が話を聞いてくれなかったせいなのだろうか。
それともあんな事は常識の範疇であって、知らなかった自分が悪いのか?

いろいろな疑問と不満で頭の中がぐるぐるしていて、目までぐるぐるしそうである。

と、そこへ。
「本当にまた帰って来てたのかよ」
呆れたような声が掛かり、夕鈴はひくりと顔を引き攣らせた。
間違っても機嫌の良くない時に聞きたい声ではないし、会いたい人間でもない。
とっても嫌そうに振り返ると。

「・・・何であんたが家にいんのよ」
「そこで青慎と会ったから様子見に来たんだよ」
予想通り几鍔と―――その後ろに半ば隠れるように青慎が顔を覗かせていた。
「しっかし相変わらず愛想のねえ女だな。それのせいで旦那と喧嘩でもしたのか?」
「うっさいわね!あんたには関係ないでしょ!?」

確かに可愛気があるとは思っていないが、それで喧嘩をしたのではない。
でも今回は夕鈴にも責任の一端があるのではと考えていた所なのだ。
几鍔に突っ込まれると、負い目を突きつけられるようで余計に腹が立つ。

―――夕鈴だって判ってはいる。
几鍔が家を気に掛けてくれている事くらい。
だから本当は心の片隅で感謝だってしている。
でも今は行き場のない怒りやら後悔やらで頭の中がぐちゃぐちゃなのだ。
元々仲が良い訳でもないし、そんなに簡単にはにこやかに接する事もできない。

「様子見に来ただけなら、もう用は済んだでしょ!?とっとと帰れ!」
夕鈴がガルルとうなりながらそう文句を言った時。

「―――随分、楽しそうだな」
とても低くて冷たい声が、入り口から聞こえたのだった。

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「続・狼陛下の家族計画」46




「・・・っ、へっ・・・!」
「へ・・・義兄さん・・・」
その声に夕鈴は絶句し、青慎はほっとしたような表情を見せた。

先刻の夕鈴の独り言を聞いている限りでは、正直な所安心してもいいのかとは思う。
でも青慎からは、黎翔が嘘つきで浮気者には見えないのだ。
姉はたまに突拍子もない思い込みをする。
だから今回もそうなのではと予想をつけていた。

一方夕鈴は固まったまま頭の中も目もぐるぐるしていた。
簡単に帰って堪るかと意地を張ったのは、つい昨日。
それからの感情の変化に、自分がまだついていけていないのだ。
そんな時に黎翔に会うのは実に気まずかったし、どう行動するべきか判断し兼ねていた。
しかも彼は非常に機嫌が悪そうである。
やっぱり自分のせいだったのかと思ってしまうのも無理はないだろう。

唯一いつもと変わらないのは几鍔だった。
「もう来たのかよ。相変わらず人騒がせな奴等だな」
そう言いつつ、道を空けている。

(―――これでも一晩は耐えたのだがな)
しかも急ぎの政務まで終わらせて来たのだ。
黎翔からすれば、かなり我慢した方である。

楽しそうに言い合いをしていたものの、几鍔はすんなりと身を引いた。
ならばここはとっとと兎を捕まえてしまうに限る。
黎翔は徐に雰囲気を和らげ、台所へと入って行った。

「ゆーりん・・・」
「な、何で来ちゃったんですか!?今は忙しい時期だって・・・!」
「うん。だから急ぎのものはちゃんとやってきたよ」
「いやいや、急ぎのもの『は』って・・・」
「だって君がいないと仕事なんてやる気にもなれないよ。一昨日は―――僕が、悪かった。夕鈴が許してくれるまで何回でも謝るから・・・帰って来て?」
「・・・っ」

(べ、別に陛下のせいだけじゃないのに・・・)
確かに言いたい文句はある。
でも自分にだって非はあるのだ。
ただ感情に心がついていかなかっただけ。
それなのに彼はとっても切なそうに夕鈴へと手を差し伸べている。

(どうしよう・・・謝らなくちゃ)
几鍔の面倒くさそうな目も青慎の心配そうな様子も、今の夕鈴には見えていなかった。
黎翔にこんな顔をさせたかったのではない。
望んだのは、大好きな人の子供なのだ。
普通の夫婦なら当たり前であろう願いが、こんなにもこの人を傷付けてしまうなんて。

勿論、夕鈴の考えの中には散々欲求不満を溜め込んで凹みまくった黎翔は入っていない。

「―――ごめんなさい・・・っ!私、きっと色々勘違いをしてて・・・っ」
夕鈴はぽろぽろと涙を零し始めた。
妃になると決めた時に、覚悟していたものが確かにあった筈だった。
それなのに、自分の無知さで大騒ぎしてしまった。
それが、申し訳なくて。

「―――帰って来て、くれる・・・?」
尚も不安そうな黎翔を見ていると、居たたまれない。
彼はこの国の王様で、忙しい人なのだ。
それなのにこうして自分を迎えに来てくれた。
そんな人に、頭がぐるぐるするほどの文句があったなんて恥ずかしい。
「・・・はい」

そう答えた夕鈴を、黎翔はほっと息を吐いてから抱きしめた。
どんな手を使っても連れ帰ろうと思っていたのだ。
彼女が素直に帰って来てくれるなら、こんなに嬉しい事はない。
「良かった。嫌われてたらどうしようかと思った」
勿論、怒っていようが嫌われようが連れ帰るつもりだったのは微塵も出しはしない。
やっと取り戻した温もりが嬉しくて、夕鈴の頬に手を添え顔中に口付けてゆく。

「もう泣かないで。君を怒らせるような事して、ほんとにごめん」
「わ、私が悪いんです。何も知らないで勝手に怒ってしまって・・・」
「君のせいじゃないよ。僕が君を求めすぎてしまったから―――」
「だから、今回の浮気は・・・私、見なかった事にしますから!」
しくしくと泣いていた夕鈴がきりっと見上げて言った一言に、黎翔は固まった。

「―――え?」
「大丈夫です。男の人の事情もあるって、ちゃんと聞きましたから!」
「おい、浮気って―――」
「義兄さん・・・?」

几鍔や青慎の視線を感じてはいたが、黎翔としてはそんなものは二の次である。
だって夕鈴は浮気と言ったのだ。全く身に覚えがない。
そもそも昔ならいざ知らず、夕鈴と会ってから他の女など『女』として見た事もないのに、どうやって浮気をすると言うのか。

「ち、ちょっと待って。浮気って何?」
「だって男の人は夫婦喧嘩すると浮気をするものなんでしょう?でも大丈夫です。私、怒ったりしません」
「いや、だから待ってって!その情報はおかしいから!!」
夕鈴は相変わらずオトコマエなのだが、今はそれはどうでも良くて。
「僕は浮気なんてしてないよ!?」
「え?でも、それが普通だって・・・」
本気で不思議そうに首を傾げられ、頭がくらりとした。
(誰だ、そんな激しく間違った知識を植え込んだのは・・・)

明玉はあくまでも『あまり家出をすると』と言ったのだが、夕鈴は綺麗に誤解していた。

黎翔は夕鈴の肩をがっしりと掴んだ。
「どこでそれが普通なのか知らないけど、本当にしてないからね!?」
こんな事を普通だと思われたら堪らない。
女たらしと言われるだけでもショックなのに、浮気者のレッテルまで貼られてなるものか。
かなり真剣に黎翔が言った時、横から呆れたような声が掛かった。

「―――俺も夫婦喧嘩したら浮気するもんだってのはおかしいと思うぞ」
「そうだよ、姉さん。そう言う人もいるかもしれないけど、義兄さんはそんな事する人じゃないよ」
青慎もおずおずと後押しをしてくれ、ほんの少しだけ安心する。
下町でもそんな事実がないなら、きっと夕鈴も信じてくれるだろう。

「え・・・そうなの?」
夕鈴は、几鍔や青慎に向き直りながらそう言った。
「どこでそんなの吹き込まれて来たんだよ。簡単に信じやがって・・・バカな女だな」
「何ですってえ!?」

相変わらず口の悪い几鍔に夕鈴が言い返し、また仲の良い口喧嘩が始まるのなら引き離そうかと黎翔が思った時。

「夕鈴!?」
「姉さん!?」
夕鈴がふらりと腕の中に倒れ込んで来たのだった。



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「続・狼陛下の家族計画」48


几鍔に呆れられ、青慎に生暖かく見送られた後。
黎翔は夕鈴を抱き締め、早々に王宮へ戻っていた。

いつも元気な夕鈴がふらついたのも勿論心配だったが、何より彼女の気が変わらない内に連れ帰りたかったのだ。
話を聞いていれば判る。
きっと夕鈴は、また何か思い違いをしているのだろう。
だから自分を無知だと言っていたのだ。
そう気付いていたが、それを正すのは後宮に戻ってからだ。
だって黎翔にとっての最優先事項は、夕鈴をこの腕に取り戻す事なのだから。

自分で歩くと言う彼女を笑顔で抑え、自室の寝台まで運んでゆく。
本当は医師に診せたかったのだが、夜遅いせいもあって夕鈴が頑なに拒んだのだ。
ただの寝不足でこんな時間に呼び立てるのは申し訳なさ過ぎると。
だから代わりに、今日は黎翔の部屋で一緒に休む事を了承させた。
万が一夜中に具合が悪くなっても、すぐに対処できるように。

「で、でも、あの・・・っ」
そっと寝台に寝かせると、夕鈴は顔を真っ赤にしながら袖口をぎゅっと握り締めてきた。
黎翔の寝台に連れ込まれてしまったから、また襲われると思ったのだろう。
勿論夕鈴がいいなら黎翔としては大歓迎だが、さすがに調子が良くない時に無理強いをする気はない。
「何を期待してくれてるのかは知らないけど、今日はただ抱き締めて眠りたいだけだから」
そう言うと、夕鈴はほっと息を吐いてから笑ってくれた。

「本当に体は大丈夫?何か食べられそうなら用意させようか?」
「いえ、ほんと大丈夫です!」
「じゃあ、僕は湯殿に行って来るから―――何かあったらすぐに侍女を呼んでね」
「はい」

灯りの加減のせいかどことなく顔色がよくないように見えるのが心配だが、夕鈴は言い出したら聞かない一面がある。
ならば早く戻ってきて自分がついているのが一番安心できるだろう。
そう考え夕鈴の額に口付けを落としてから、黎翔は足早に湯殿へと向かったのだった。





「結局陛下に迷惑かけちゃったわ・・・」
そうぼそりと呟いたのは夕鈴である。

元々家出をした時点で、ある程度は迷惑になるだろうと判っていた筈だった。
でもあの時はとにかく怒っていたし、身の危険を感じていたのだ。
それに、まさか翌日に迎えに来るとも思っていなかった。
今は忙しいと聞いていたし、バイト時代に家出した時はそれなりの日にちが経ってから迎えに来たのだから。
しかも今回は自分が勘違いをして勝手に怒っていただけ。
そう思えば申し訳なさが先に立つ。

しょんぼりと息を吐いた時。
「きゅっ」
あまり聞き慣れない鳴き声がして、夕鈴は目を開けた。
「―――?何?」
周りを見回しても何かがいる訳でもなく、不思議に思って起き上がる。
「きゅきゅっ」
声はするのに、やっぱりどこにも姿が見当たらない。

(陛下のお部屋に変なものがいる筈ないんだけど・・・なんか近いわね)
本来この国で一番警備の厳しい場所だ。
だから何かが入り込む隙などない筈なのに、その声は外からではなく部屋の中から聞こえているように思えた。
夕鈴が尚もきょろきょろと見回していると。

「きゅっ」
帳の合間から、ぴょこんと兎が顔を覗かせたではないか。
「えっ?何でこんな所に兎??」
兎など、犬や猫と違ってそこら辺にいるものではない。
それが、しかも国王の寝所にちょこんと丸まっているのだ。
不思議に思うのも当然だろう。
でも、驚いていたのはほんの僅かな時間だった。
「・・・か、可愛い・・・っ!」

薄茶の柔らかそうでつやつやした毛並み。
ぴょんと伸びた長い耳。
大きくてつぶらな瞳。
普段まじまじと見る機会などないが、その兎は殊更器量良しなのではないだろうか。

夕鈴がそっと手を伸ばすと、兎は一度ぴくりと体を強張らせた後、ひくひくと鼻を動かしながら近寄ってきた。
「そうよ、いい子ね」
怖がらないように声を掛け、優しく頭を撫でてやる。
見た目通り、その毛はすべすべと気持ち良かった。

「どうしてこんな所にいるの?」
答えを期待してはいないものの、疑問がつい口に出る。
王宮や後宮で兎を飼っているなんて聞いた事がない。
でも妃とは言っても、ここは夕鈴の知らないことの方が多いのだ。
もしかしてどこかで飼っていたのだろうか。

そう思った瞬間、嫌な考えが頭を過ぎってしまった。
いつもの夕鈴なら、自分が率先して言いそうな事なのだが。
(―――まさか、食用・・・?)

厨房から逃げ出したのだろうか。
そう、思ってしまったのだ。
勿論それにしても警備の厳しいこの部屋にいるのは疑問が残るのだが、一番あり得そうだった。

―――夕鈴だって元主婦、料理はする。
動物の命を頂いて生きているのも判っている。
でも、すぐ目の前にいる兎は何とも可愛らしくて―――この子の肉を出されても、美味しく食べられる自信がない。
(・・・飼えないかしら)
だから、こう考えるのも不自然ではなかっただろう。

夕鈴は兎をそっと抱き上げた。
夫は普段から自分に甘いのだ。
頼み込めば、飼っても良いと言ってくれるかもしれない。
命に優劣をつける気など更々ないが、こんなに可愛い兎の皮を剥いで食べてしまうのは可愛そうだ。

「陛下に、頼んであげるからね」
夕鈴はそう言うと、兎を抱き締めたのだった。

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「続・狼陛下の家族計画」50


「・・・・・・」
黎翔は力なく広い寝台の隅に腰掛けていた。
何故かと言うと。

「ふふっ。ふわふわ。もふもふ。気持ちいいです」
やっと連れ戻したお嫁さんを、生ウサギに取られてしまったからである。
しかも。
「ゆーりん・・・」
「っ!きゅぅっ」
「―――」
手を伸ばそうとするだけで生ウサギが怯えてしまうのだ。
結果。
「陛下、駄目ですってば!よしよし、怖くないからね」
夕鈴に近寄るなと身振りで示され、手も足も出ない。

夕べ、侍女が持って来た時はこんなではなかった。
だが一度抱きしめようとしたら逃げられて、それからすっかり警戒されているのだ。
何度も餌付けしようとしたが、とうとう成功しなかった。
このままでは夕鈴を抱きしめて眠るのも難しい。

「それにしても、どこから入り込んだんでしょう、この子。誰かが飼ってるんでしょうか」
一方、夕鈴は兎を飼っていいが聞くタイミングを見計らっていた。
普段自分は甘やかされている。
その自覚があるからこそ、言い辛い。

勿論黎翔は夕鈴が願いを口にすれば嫌な顔はしないだろう。
そう思えるくらい、彼は妃に甘いのだ。
それは逆に言えば我侭を許される前提のようで、夕鈴の信条に反する。
でも、まだ頭の中には厨房から逃げてきた説が残っていた。

誰かが飼っているのならいい。
飼い主に返すのがこの兎も幸せだろう。
でも、もし本当に食用だったら。
そう考え、夕鈴は平静を装って情報を引き出そうとしていた。

普段の黎翔ならば、夕鈴の思惑などすぐに気付いただろう。
たが今は嫁を生ウサギに取られて凹んでいた。
だから夕鈴にとっては幸いな事に、全く気付かれなかったのである。

「ええと、その兎は・・・」
夕鈴の言葉を受け、黎翔はほんの僅かな間狼狽えた。
まさか、夕鈴に『君が家出をして寂しがっていたら李順が差し入れてくれた』なんて言える訳がない。
挙句、餌付けに失敗して怯えられているなんて。
だから。

「―――老師が、動物は胎教にいいらしいからって連れてきてね」
「えっ、そうなんですか?老師も気が早いですね」
苦し紛れの嘘を、夕鈴はすんなり信じたようだった。
困ったように笑いながらも、どことなくほっとしている様子に疑問が過ぎる。
だが。
「じゃあ、この子飼ってもいいですか!?」
続く言葉に、黎翔は固まった。
「・・・え?」

飼う?
この生ウサギを?
間違いなくお嫁さんを取られるのに?

―――冗談ではない。
せっかく帰って来てくれたのに、これ以上夕鈴との睦事を邪魔されるなんて。
大体、こんな生ウサギ一羽でこの有様なのだ。
子が産まれたらと考えるだけで嫌な予感しかしない。

「良かったね、食べられないで済んで。これからは毎晩一緒に寝ようね」
そう言って生ウサギに頬ずりする夕鈴はとても可愛らしい。
が、今回ばかりは『はいそうですか』と許す訳にはいかないに決まっている。

「―――でも、兎は色々なものを齧るから、子がいない内から君が飼うのは李順がいい顔しないと思うよ?」
「え・・・」
「勿論、子ができればまた別の話だけどさ。ずっと兎の後を追い駆け回して見張ってられるほど、暇じゃないでしょ?」
「そ、それはそうですが・・・」
「ちゃんと小屋を作らせるから、明日になったらそこに移そう?」
あくまでも表面上はにっこりと告げ、生ウサギに手を伸ばす。
「きゅぅっ」
途端に生ウサギは怯え始め、抱き締めていた夕鈴の胸元に顔を隠した。
「ひゃっ。く、くすぐったいっ」

頬を染めて笑う彼女はとんでもなく可愛らしい。
できればずっとそうしていて欲しいくらいだ。
だがいかんせん、それが生ウサギのせいなのは頂けない。
いつも夕鈴の胸元に到達するまで、自分がどれ程の苦労をしている事か。

黎翔は笑顔を崩さないまま、夕鈴から生ウサギをべりっと引き剥がした。
「ちゃんと君が会いたい時は会えるようにしてあげるし、子ができたら傍に置けるよう手配してあげるから。いいね?」
「・・・はい」
夕鈴は少ししょんぼりとしてしまったが、黎翔としては満足である。
未だ手の中で震えるこんな小動物に、お嫁さんを取られてなるものか。
そうほくそ笑んだのに。

「じゃあ、今夜だけ・・・一緒に寝てもいいですか?」
眉尻を下げ、上目遣いでお強請りする夕鈴にノックアウトされてしまった。
「う・・・っ」
(何、この凶悪に可愛いお嫁さん・・・!)

今日こそは抱き締めて眠りたいと思っていた。
その権利を生ウサギに譲るのは惜しい。
でも普段彼女が強請ってくれる事などまずないのだ。
夕鈴の願いなら何でも叶えてやりたい。

黎翔は暫く葛藤した後、溜息を吐いた。
「じゃあ、今夜だけね」
「はい!ありがとうございます!!」

夕鈴は真面目だ。だから黎翔との約束を破りはしないだろう。
それならば彼女を取られるのは今夜だけの事。
一晩我慢するだけで、こんなに嬉しそうな笑顔を見れるなら。
(それに、明日になったら体調も万全になってるかもしれないし)
そうすれば抱き締めて眠るだけではなく、あんな事やこんな事もできるのだ。
どうせ今日は眠らせるつもりだったのだから、我慢するのは同じ事。

「じゃあ、おやすみなさいませ、陛下」
「うん、おやすみ」
生ウサギを抱き締めて眠る夕鈴の額へ口付けを落として。
明日への期待に慰められながら、黎翔は少し離れて寝台に滑り込んだのだった。


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まだ続くよ!



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