************************************************************************************************** 【原作寄り(?)】【本物夫婦設定】【春月抄・4コマ「狼陛下の家族計画」の先のお話】 「続・狼陛下の家族計画」52 黎翔は、半ば呆然としながら後宮へと向かっていた。 今日からは、今度こそ夕鈴も同意の上で閨を共にできる。 その一念で政務に励んでいたのに、張元から妃懐妊を知らされたのだ。 平静でいられる訳がなかった。 ―――別に、嬉しくないのではない。 愛しい娘が自分の子を産む。 それは彼女に会うまでは考えてもいない事だった。 人並みの幸せなど、手が届く筈もないと諦めていたのだ。 まさか自分にこんな日が来るとは思ってもいなかった。 だがそれはそれ。 今一番望んでいるのは、美味しい兎を骨の髄まで堪能する事だ。 それが、まさかの懐妊とは。 妃の部屋に入る前から通りすがる女官らに祝いの言葉を掛けられ、何とか相槌を打ち寝所へ入ると。 「陛下・・・」 夕鈴は慌てて寝台から起き上がろうとしていた。 「良い、そのままで」 それを手で制し、傍に控えていた女官長へと目をやる。 心得たもので、女官長はすぐに簡潔な説明を始めた。 「今朝ご指示頂きました通り侍医が診察しました所、ご懐妊と判明致しました。只今三月ほどとの事でこざいます」 「・・・そうか」 昨夜の事もあって、念の為に診せるよう指示したのは確かに自分だ。 普段元気な夕鈴がふらついたのが心配すぎたから。 だが、まさかそこで懐妊が判明するとは。 しかも今三ヶ月と言う事は―――もしかして、初夜でできていたのではないだろうか。 子種が強いのは王族としては良い事だが、今回ばかりは素直に喜べない。 「それから、陛下には侍医より伝言が」 「―――何だ」 「お子が安定するまでは、共寝はお控え下さいますように、と―――」 「――――――・・・」 別に女官長が悪いのではないと判っている。 でも、何故彼女もいる所でそんな話をしてしまうのか。 そう考え、そう言えば以前も夕鈴とこんな話をしたと思い出す。 「だ、大丈夫です。陛下はもう判ってらっしゃいますから・・・!」 恥ずかしそうに夕鈴が答え、女官長はほっとしたように微笑んだ後、退室して行ったのだが。 (―――あれ?あの誤解はどうなったんだっけ?) 侍女や張元に演技指導をしてまで伝えたかった事を、結局夕鈴は完璧にスルーしたのではなかったか。 その後懐妊中の閨に関しては話していない気がする。 と、言う事は。 (まさか、産まれるまでお預け!?) 今度こそ本当に、自分の繁殖能力を呪いたい気分だ。 「あ、あの、陛下・・・」 愕然としていた黎翔は、夕鈴に声を掛けられるまで懐妊してくれた妻を労うのも忘れていた。 本音を言えば微妙な心持ちだが、彼女を労わりたいとは思っているのだ。 だから。 「ありがとう、夕鈴」 黎翔は寝台に腰掛け、夕鈴の額へ自分のそれをこつんと合わせた。 「私こそ、ありがとうございます」 彼女は真っ赤になりながらもとっても幸せそうに笑ってくれて、こちらまで嬉しくなってくる。 そうだ。 これでやっと『家族』になれるのだ。 ただの夫婦ではなく、これから生涯をかけて二人で子を護り育ててゆくのだ。 何よりも誰よりも愛しい妻との間にできた子。 愛せない訳がない。 そう考え、取り敢えず誤解さえ解けばいいのだと対策を模索していると。 「赤ちゃんができたなら、この子は飼ってもいいんですよね!?」 目の前に生ウサギを突きつけられてしまった。 「え・・・?」 言われるまで、存在そのものを忘れていた。 と言うか、思い出す余裕もなかった。 「ああ、また怯えて・・・怖くないのよ?」 彼女の言う通り生ウサギは黎翔を見た途端ぷるぷると震えて出していて―――その様子を見ているだけで昨夜の事が頭を過ぎり、嫌な予感しかしてこない。 「えっと・・・」 「この子がいれば、陛下と一緒に眠れなくても寂しくありませんし!」 「えっ!?」 「だから、私の事は心配いりませんからね」 そう言って生ウサギに頬擦りする夕鈴はとてもとても可愛らしい。 が、それは取り敢えず置いておいて。 「ち、ちょっと待って!侍医が言ったのは、その・・・するなって事で、一緒に眠っちゃいけないって意味じゃないよ!?」 「え?でも・・・」 「約束だからその兎は飼ってもいいけど、夜は駄目!」 夕鈴とできないのは本当に心の底から残念だ。 早々に彼女の誤解を解き、何とかコトに及びたいと思っている。 だがその前に、完全に寝所を別にされたらそんなものは夢のまた夢ではないか。ただ抱き締めて眠る事すらできやしない。 だから黎翔にとって、そこは譲れない一線であった。 「侍医の許可が出るまでは何もしないから!!」 必死に言い募ると、夕鈴は少し呆れたような顔をした。 「・・・そんなに寂しいなら、この子は陛下と一緒に寝てもらいましょうか?」 「いや、そうじゃなくて・・・!」 兎は兎でも、生ウサギと夕鈴では比べるまでもない。 でも相変わらず彼女は、自分がどれだけ黎翔に求められているか全く気付いていなかった。 これは、ここで言い含めるより侍医なり李順なり、第三者から説得させた方がいいのではないか。 不意に過ぎった考えに、黎翔は一度軽く息を吐いた。 そうだ。何故か夕鈴は自分と話をしていると、良く突拍子もない方向へと進んでゆく。 だから他の人間の口から言わせる方が素直に理解してくれるかもしれないではないか。 ―――黎翔も結構変な方向に転んでいる事を、当然本人だけが気付いていない。 「取り敢えずまた夜に来るから―――ゆっくり休んでてね・・・」 黎翔は疲れたようにそう告げると、政務へと戻って行ったのだった。 ************************************************************************************************** |
************************************************************************************************** 「続・狼陛下の家族計画」54 【原作寄り(?)】【本物夫婦設定】【春月抄・4コマ「狼陛下の家族計画」の先のお話】 黎翔が李順に夕鈴の説得を命じている頃。 正妃の寝所は、かつてないほど賑やかな話し声に満ちていた。 何故かと言うと。 「まさか正妃様がこんなに気さくな方だったとはねえ」 「本当だよ。噂なんて当てにならないもんだ」 後宮で働く下女らまで集まり、騒いでいたからである。 そもそもの始まりは、正妃懐妊の報が瞬く間に駆け巡った事だった。 今の後宮に妃は夕鈴ただ一人。 過去のように、どの妃に仕えているから等の派閥は存在しない。 だから女官長から下女に至るまで、王と妃のみが主なのだ。 近隣国でも聞いた事のない、唯一寵愛を受ける正妃を祝おうと思うのは不思議な話ではないだろう。 夕鈴も祝い事に人が集まるのは、特におかしいとは思わない。 下町では近所中で祝うものなのだ。 だから何の躊躇いもなく寝所まで通してもらっていたのだが。 一国の正妃ににこにこと祝いに対する礼を言われてしまえば、身分の低い者としては驚きつつも嬉しい限りである。 しかも夕鈴の腕には、恐ろしいと噂される王から贈られたと言う愛らしい兎がちんまりと収まっていて、緊張も薄れてゆく。 結果、妃の勧めるままに話に興じているのだ。 挙句に、あまりの騒がしさに注意をしに来た女官長まで、夕鈴が楽しそうにしているのを見ると「正妃様のお体に障らないよう、くれぐれも注意するように」と言いつつ黙認した。 だから人は増えるばかりで、立派な女子会になってしまったのである。 「けど、陛下が正妃様だけを心から愛しておられるってのは本当なんですねえ。世間ではおっかない王様だって言われてるのに」 「全くだよ。男なんか釣った魚に餌をやらないのばっかりなのにさ」 「家の亭主にも見習わせたいですよ」 あははとあけすけに笑うのは、俗に言うおばちゃん連中だ。 年齢も身分も関係なく、賑やかな会話が繰り広げられているのだが。 (―――何か、こんな感じ懐かしいなあ) 下町にいた頃、井戸端で散々見てきた風景に似ていて、夕鈴はにこにこと笑みを零した。 なまじ後宮の悪女との噂を知っていた分、余計にそのギャップで可愛らしく見える下女らはきゅぅんと胸を鷲掴みにされ―――実際よりも可憐な妃として認識されてゆく。 そしてそうなれば何とか喜ばせたいと思うのも、人間としてなんら不思議ではない。 だから話は、より面白おかしく肉付けされて披露された。 侍女としても、下町の話など聞く機会は殆どないのだ。 興味津々だったし、何を聞いても感心するのでおばちゃん連中はとどまる所を知らなかった。 「普通の男なんか、女ができないとなると浮気するもんなんだけどねえ」 「きっと王様はしないんだろうね」 「何人お妃様がいてもおかしくないのに、たった一人正妃様を心から愛しておられるのですわ」 「それなら夜が大変だろうに。まだお若いんじゃなかった?」 「陛下は全て判っていらっしゃるのです。懐妊と知った途端、寝所は別にと決断なさって・・・」 「はー、浮気しないでそれですか。よっぽど正妃様が大切なんだねえ」 普段ならば王や妃の行動など、外に漏れる事はない。 だがさすがに今は侍女らも雰囲気に呑まれ、少々口が軽くなっていた。 それを聞いて顔を赤くしていたのは夕鈴である。 自分と夫の事を目の前で噂されているようなものなのだ。 紅珠の妄想を聞かされている時と似通った気恥ずかしさに、腕の中の兎をぎゅっと抱き締めて耐えていた。 「家は、私に子ができた時にも迫ってくるし大変でしたよ」 「あらやだ、惚気のつもりかい?」 「いや、ほんとなんだってば。浮気する甲斐性もないのはいいけど、何もしないからって言ってた癖に結局手を出してきたんですよ」 「そりゃ旦那が悪いねえ。男の何もしないは信用できないから」 (―――え?) 盛り上がる会話に悶絶していた夕鈴は、そこでぴくりと反応した。 だってつい先刻黎翔が言った台詞が紛れていたのだから。 (何もしないって言うのは、信用しちゃいけないの・・・?) 確かに彼は閨でも積極的だ。 だから欲求も強いのかもしれない。 一晩二晩ならまだしも、今回は子が産まれるまでの話。 この下女の夫のように、我慢できなくなるかもしれないではないか。 黎翔が紳士だという考えは朝まで貪られた一夜を境に、すっかり夕鈴の頭から消えていた。 「それに、一緒に寝るのは危ないですよ。寝相が悪い男だと寝ぼけて腹を蹴ったりするらしいし」 「そりゃ大変だ。下手したら子が危ないじゃないか」 やはり産まれるまでは一緒に寝ないほうが良いかもしれないと考えている間に、決定打が放たれた。 (え!?お腹を蹴られる!?!?) 普通なら妊娠すれば母親が色々な事を教えてくれるのだろう。 だが夕鈴の母はもう亡くなっているし、下町と違って色々教えてくれる世話焼きなおばちゃんもいない。 知識としてなら後宮にも豊富に揃っているが、やはり実体験には敵わないのだ。 だから悶絶しながらも話を聞いていたのだが、まさかそんな恐ろしい事があろうとは。 (陛下は寝相、悪くないけど・・・) どちらかと言えば、彼は殆ど動いていないと思う。 でも毎日必ずそうとは限らないではないか。 結婚してからの事しか、夕鈴は知らないのだから。 やっぱり夜は、寂しくないようにこの兎と眠ってもらおう。 そうすればきっと我慢してくれるに違いない。 「寝所も別、浮気はしない!王様っていい旦那さんですねえ」 夫を褒められはにかみながら、夕鈴はそう決意していたのだった。 ************************************************************************************************** |
************************************************************************************************** 「続・狼陛下の家族計画」56 夕鈴の寝所からおばちゃん連中が引き上げ暫く経った、午後も少し遅い時間。 李順は忙しい政務の合間を縫って、夕鈴を訪ねていた。 本来後宮とは男子禁制である。 だから今まで夕鈴と話をするのは基本的に四阿だったのだが、今回ばかりは大事な体。 特別に王の許しを貰い、寝所まで通された。 「まずは、ご懐妊おめでとうございます」 「ありがとうございます」 わざわざこんな所まで来たのだ。話があるのだと判ったのだろう。 夕鈴が早々に侍女を下げたので、礼を取っていた顔を上げると。 (―――何故ここに生ウサギが・・・?) 一人寝は寂しいだろうと黎翔に差し入れた筈の生ウサギが妃に抱かれていて訝しむ。 「どうしたんですか?まさか、陛下に何か・・・?」 その間にも夕鈴は心配そうな目を向けてきて、李順は溜息を押し殺した。 そもそもこんな所まで来たのは、黎翔から夕鈴の説得を命じられたからなのだ。 夜、一緒に眠れるように。 李順としては理解しがたいが、それは主にとってかなり重要らしく―――余計な心配をするくらいならそこに気付いてやれと言いたい気分である。 ―――とは思っても、夕鈴が鈍感なのは今に始まった話でもない。 だから言っても無駄だろうと判っていた。 「今日は陛下のご希望を伝えに来ました」 「・・・希望?」 「そうです。陛下は貴女との同衾を望んでいらっしゃいます。体の負担になるような事はしないと言ってるんですから、今日から一緒に寝て差し上げて下さい」 誤解のないよう、直球ストレート。これが一番良いのだ。 黎翔のように回りくどいことをするから、誤解が誤解を呼んでややこしくなる。 そもそも、今回がいい例ではないか。 夕鈴が子を望んでから、自分はどれだけ振り回された事か。 散々騒ぎ周りを巻き込んだ結果が、『実は初夜でできてました』である。 黎翔に付き合って色々考えたのが馬鹿らしい。 反論は認めないとばかりに敢えて冷たく事務的に言ったのだから、夕鈴から『はい』の返事を聞けばこの任務は終了だ。 今日だって政務は立て込んでいる。とっとと戻って再開しなければ。 そう、思ったのに。 「嫌です」 「―――は?」 「陛下と一緒では、眠れません」 夕鈴はきりっとそう言い放っていて、少し固まってしまった。 正直な所、拒否られるとは思っていなかったのだが―――数日前に夕鈴が家出した原因を知っている李順からすれば、黎翔の『何もしない』を信じられないのも判らなくもない。 だってあの話を聞いたときは、呆れ果てたのだから。 だがこのまま引き下がっては政務が滞るのも簡単に想像できる。 本当にどこが良いのか李順にはさっぱり理解できないものの、黎翔は夕鈴がいないと駄目なのだ。 そう実感させられる程度には、凹んだ姿を見せ付けられてきた。 だからここはきちんと話を聞き、説得しなければならないだろう。 ―――政務と、自分の胃の為に。 「理由を、お聞きしても?」 勤めて冷静に問い掛けると、夕鈴は真っ赤になりながら生ウサギをぎゅっと抱き締めた。 「陛下は、その・・・私の話を聞いてくださいませんし!」 「先日のことは伺っていますし、貴女がそう言いたくなるのも判ります。・・・が、私からもちゃんとお諌めしておきましたので心配はいりません」 ―――多分。 と、付けたくなってしまうのは勿論教えられない。 「っ!?な、なななな何で李順さんまで・・・っ!?」 「貴女が陛下を困らせるからでしょう。私だって聞きたくて聞いたんじゃありませんよ」 夕鈴は音を立てそうな勢いで真っ赤になってしまったが、李順からすれば何でもない事である。 正式な夫婦になった以上、夜の営みは至極当たり前な事だし、逆に何もない方がおかしい。 本音を言ってしまえば、こんな時に他の妃が役に立つのだ。 それを黎翔が拒んでいるとなれば、欲求不満は夕鈴が解消するしかない。 (いくらでもやりようはある・・・とは、言えませんしねえ) 手や口でなんて方法はどうせ知らないだろうし、李順が教えるべきものでもないだろう。 ―――と言うか、教えたら黎翔に間違いなく怒られる。 それが判っているから、ただ説得するしかないのだ。 「そ、それに―――万が一、寝惚けてお腹を蹴られでもしたら、赤ちゃんに良くないって・・・!」 「―――?陛下の寝相は悪くない筈ですが?」 「そう―――です、けど・・・でも、陛下はただ寂しがりなだけなんです。だから、別に私じゃなくても・・・」 「・・・は?」 夕鈴が何を言ってるのか、さっぱり判らなかった。 確かに王とは孤独なものだ。 それを心のどこかで寂しいと感じる事もあるだろう。 だが基本的に黎翔は寂しがりではない。 こんなに執着しているのは、夕鈴に対してだけである。 (まさか、寂しがりだからあんなにベタベタされているとでも?) 眉を顰め、そう考えていると。 「だからあんまり寂しがるようなら、李順さんが一緒に寝てあげて下さい!あ、何ならこの子も貸しますので!」 「はあ!?!?」 とんでもない提案をされ、本気で背筋がぞわりとした。 確かに過去、状況的に仕方なく傍近くで休んだ事はある。 だがそれは主に戦場だのの話であって、建物の―――ましてや、同じ寝台の中ではない。 何でこんなに鈍感なんだ。 そして何て気持ち悪い提案をしてくるのだ。 あまりの事に、どう答えればちゃんと誤解を解き夕鈴を説得できるのか、柄にもなく考え込んでしまって。 「李順サーン。宰相が急ぎの案件があるから来てくれって―――どうしたの?」 浩大が呼びにくるまで、李順はそのまま固まっていたのだった。 ************************************************************************************************** |
************************************************************************************************** 「続・狼陛下の家族計画」58 「―――」 「―――」 その日。 官吏らのいなくなった政務室で黙り込んでいたのは、黎翔と李順である。 夕鈴を説得に行かせた李順が戻って来たのはつい先刻。 渋い顔をしていたので、嫌な予感はしたのだが。 ぷるぷると震える生ウサギを篭から取り出しながら始めた説明に、もう言葉も出なかった。 寂しがりと思われるのは―――まあ、しょうがない所もあると思う。 彼女の同情心を散々煽ってちょっかいを出しやすくしていたのだ。 黎翔の本心を知らない夕鈴がそう誤解するのも解らないでもない。 でも、一緒に寝てくれるなら誰でも良いと思われているのは心外だ。 ぶっちゃけた話、夕鈴以外が同じ寝台にいたら気持ちが悪くて眠るどころではないだろう。 ―――とは言っても、夕鈴と一緒でも違う意味で眠れないが。 「あんなにイチャイチャベタベタされていて、何で陛下に必要なのはご自分だと気付かないんですかねえ」 「・・・夕鈴は難しいからな・・・」 二人で同時に溜息が出てしまうのも仕方がない。 だが。 (―――待てよ) 彼女が一緒に寝たくないのは、万が一黎翔が寝惚けて腹の子に何かあったらと心配してなのだ。 ならば、逆に考えれば上手く話を運べるのではないだろうか。 勿論相手は夕鈴だ。そうとは限らない。 でもこのままでは子が産まれるまで拒否られてしまうのだから、やってみる価値はある。 「―――今日の急ぎはこれで全部か?」 急にやる気を見せた黎翔に李順は驚いていたが、そんな事はもうどうでも良かった。 「はあ。ですが、まだ仕事は・・・」 「夕鈴を説得したら、戻ってくる」 「は!?出来なかったらどうするんですか!!」 「出来なければ、どうせ進まない」 その後もぶちぶちと言い続ける李順を軽く無視して、黎翔はにやりと笑ったのだった。 とっとと急ぎのものを終えた、同日宵の口。 黎翔は夕鈴の寝所に顔を出した。 「具合はどう?」 あくまでも、彼女の体と子を優先する。 そう装わなければ、この作戦は失敗だ。 だから殊更心配そうに、優しくしなければ。 勿論心配なのも嘘ではない。 子を産むと言うのは女性にとって、時に命の危険も伴う大仕事なのだ。 万が一にでも彼女に何かあってはならない。 「お帰りなさいませ。―――って言うか、病気じゃないんですから」 唯一の正妃が懐妊したのだから、今日一日散々世話を焼かれたのだろう。 夕鈴は少し困ったように笑った。 「そうだけどさ。皆、君に元気な子を産んで欲しいと思ってるんだよ」 寝台の端に腰掛けて、強引にならないようそっと手を伸ばす。 李順が連れて行ったせいで今日は邪魔な生ウサギもここにはいない。 内心ほくそ笑みながら髪をさらりと梳き、黎翔はにっこりと微笑んだ。 「李順から聞いたけど―――僕が寝惚けてお腹を蹴ったりするかもしれないのが心配なの?」 「え・・・っと―――はい」 「そんなに寝相悪いつもりはないんだけどなあ」 殊更軽くあははと笑うと、夕鈴は頬を染めて俯いてしまって―――胸がとくりと跳ねる。 こんなさり気ない愛らしさに煽られてしまうのだと、未だ彼女は気付いていない。 「で、でもっ」 「うん?」 「大好きな人の赤ちゃんだから・・・危ない事はできるだけ避けたくてっ。陛下には、その、寂しい思いをさせてしまうかもしれませんけど・・・っ」 「・・・っ、ゆーりんっ」 何と可愛い事を言ってくれるのだろう。 こんな言い方をされたら、何でも許してしまいそうになるではないか。 普段彼女からの好意を口に出される事などまずないのだ。 でも、だからこそ今回は上手く言い包めなければならない。 だってこんな愛らしいお嫁さんを、子が産まれるまで放っておくなどできはしないのだから。 黎翔は抱き締めそうになる手をぐっと堪えながら、にっこりと笑った。 「でも、それなら余計に一緒に寝た方がいいんじゃないかなあ」 「え?」 意外そうに顔を上げる彼女に心の中で謝りつつ、頭を軽くぽんぽんと叩く。 「だって・・・夕鈴、あんまり寝相良くないし。一人で寝てて寝台から落ちちゃったら、それこそ大変だよ」 「ええっ!?わ、わ、私、寝相悪いんですかっ!?」 「―――うん、ちょっとだけね」 夕鈴は青褪めてしまったが、黎翔としてはしめしめと言った所である。 勿論こんなのはかなり大袈裟に言っただけであって、夕鈴の寝相は悪くない。 たまに可愛らしくもぞもぞと動く程度である。 だが今重要なのは、子が産まれるまでの間も大好きなお嫁さんを抱き締めて眠る事なのだ。 良心の痛みなど、夕鈴不足から来る心の穴に到底敵う筈もない。 「まさか、寝ている間に陛下を蹴ったりした事も!?!?」 「ううん、一緒の時は僕がちゃんと抱き締めてるから大丈夫。だから、子の為にも今日からまた一緒に眠ろう?」 「赤ちゃんの為・・・」 「そうだよ。『元気な子を産む為』だよ!」 おろおろと慌てていた夕鈴は、黎翔の言葉にほんの少しの間考え込んだ。 (―――今だ!) 「大切な君との、大切な子だしさ。二人で護ってあげよう?」 とにかく優しく、何よりも子の為に。 自分の欲望など微塵も出さないよう細心の注意を払って、彼女が躊躇っている内に押してゆく。 夕鈴は尚も少し考えていたが、やがてはにかみながら笑ってくれた。 「陛下がそこまで赤ちゃんの事を考えてくれてたなんて・・・私、幸せです」 「じゃあ、今日からまた一緒に寝てくれる?」 「はい。よろしくお願いします」 そう答えた彼女は恥ずかしそうに頬を染めていて。 (―――良かった・・・) 本当に心の底からほっとした。 今年一番の良い仕事だったんじゃないだろうか。 こんなに上手くいくなんて。 黎翔は幸せを実感しながら、夕鈴をそっと抱き締めたのだった。 |
************************************************************************************************** 「続・狼陛下の家族計画」60 何とか『一応』夕鈴を説得し、李順との約束通り政務に戻った後。 黎翔は半ば呆然としながら、機械的に仕事をこなしていた。 説得は上手くいった。これ以上ない程の出来である。 だが、その後が頂けない。 ―――あの、夕鈴の信頼に満ちた眼差し。 あれを裏切る勇気が、自分にあるだろうか。 勿論、彼女も子も護りたいと思っている。 だから無体なことをするつもりはないし、安定期に入るまでは抱き締めて眠るだけで我慢しなければならないかもしれないとは―――ちょっとは、考えていた。 でもなまじ自分から『何もしない』と言ってしまったせいか、夕鈴の綺麗な目を見てしまったせいなのか。 このままでは安定期に入っても、何もできないような予感がして仕方がないのだ。 それは取りも直さず子が産まれるまで何も出来ないと言う事。 新婚早々一年もお預けなんて耐えられる訳がないではないか。 何とかしなくては。 次第に落ち着きを取り戻した黎翔は、対策を考え始めた。 まずは妊娠中にコトに及んではいけないと言う夕鈴の誤解を解かなければならないだろう。 前回でも再確認してしまったが、彼女のスルースキルは思っていた以上に高いのだ。 だからそこも考慮した上で計算しなければ。 誰が一番適任だろうか。 素直に聞いてくれるだろうと考えて送り出した李順が失敗してきたのだ。 親しい間柄ではない方が良いかもしれない。 と、なると。 彼女がバイト妃だったと知らない人間の方がいいのだろうか。 そうすれば心を許していない分反論もしにくいだろうし、その間に押し切れるかもしれないではないか。 (―――まずは、侍医からか・・・) 医師の言う事なら、夕鈴も耳を傾けるのではないか。 そう考える反面、閨を控えるよう言ってきたのもその侍医なのが少々不満である。 だって安定期に入るまで手出しするのを止められるのは、既に判っているのだ。 可能な限り、早く抱きたいと思っているのに。 (大体、初夜で子が出来ていたなら閨を禁止する必要はないんじゃないか?) 夕鈴が家出をするほど激しく貪った夜を経て尚、宿っているのだ。 きっと強い子なのだろう。 ならば優しく抱けば大丈夫なのではないかと考えてしまうのも仕方のない事。 黎翔にとっての一番は、やっぱり夕鈴なのだから。 では、どうすれば良いのか。 まずは侍医に安定期に入った後なら閨を共にしても問題ないと説得させ、その後隙を見て彼女をその気にさせればいいのか? 夕鈴だって恥ずかしがってはいるが、行為自体が嫌いなのではない。 ・・・と、思う。 だって可愛らしく抵抗しながらもちゃんと感じてくれているのだから。 勿論そこまで行くには一方ならぬ苦労が待ち受けているが、夕鈴は『黎翔は何もしない』と信じているのだ。 その分付け入り易いし、彼女から強請ってくれるなら構わないだろう。 (夕鈴からのお強請り・・・) それはずっと夢見ていた事。 俄然やる気も出ると言うものである。 今まで散々失敗し、辿り着けなかったが―――今度こそ。 夕鈴をその気にさせる事が『何もしない』に反するとは、夢を膨らませた黎翔が気付く筈もない。 今日は彼女を安心させる為にも、優しく抱き締めて眠ろう。 全ての計画は明日からだ。 そう考え少し欠陥のある計画を胸に、黎翔は次の書簡へと手を伸ばしたのだった。 翌日。 夕鈴は侍医の診察を受けていた。 正直に言えば、毎日診てもらうなんて過保護すぎると思う。 だって一度立ちくらみがしただけで、悪阻らしい症状も殆どないのだ。 心配性な夫に寝台から出てはいけないと言われているせいで動く機会がなく食欲が落ちてしまってはいるが、それだけである。 でも、一応これでもこの国唯一の正妃。 周りが心配するのも判るので、大人しくしていたのだが。 「経過も良好なご様子で、何よりでございます」 そう言われほっとしたのも束の間。 夕鈴はきりっと表情を引き締め、侍医と向き合った。 「あのっ!」 「何でございましょうか、正妃様」 「そろそろ・・・寝台から出ても良いんじゃないかと思うんですが・・・っ」 妊娠は病気ではないのだ。 下町では妊婦が働くのは当たり前だったし、いざ生まれると言う瞬間まで普通に生活していた。 それなのに、自分はどうだ。 まだお腹も大きくなっていないのに、寝台から出る事もままならない。 しかもそれは黎翔の指示であって、侍医はそんな事一言も言っていないのだ。 大切にされているのは判る。判るが。 (このまま食っちゃ寝してたら、太っちゃう・・・!) 妊娠をきっかけに太った女性なんか、たくさん見てきた。 自分の容姿に自信がないのに、更に太ったら。 考えるだけで眩暈がしそうである。 「確かに、適度な運動は必要かと存じますが―――陛下が・・・」 そう言って言葉を濁した侍医に、夕鈴は頬をぴくりとさせた。 「じゃあ、私が説得する分には何も問題ないんですね!?」 「は、はあ・・・まあ・・・」 正妃の剣幕に、侍医はたじたじである。 でも。 (よし。今日陛下が帰って来たら直談判しよう!) このまま産み月まで閉じ込められるなど、気が狂ってしまう。 これがまた新たな誤解を生むとは知らず、夕鈴は心の中で握り拳を作ったのだった。 |
まだ続くよ!
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